トロンプ・ルイユの肖像
***
参ったな、とグレイスは思っていた。予定の無かった筈のディナーを潰されて、大勢の相手をしなければならなくなったからだ。
恋人が行くべきだ、と言うので仕方がない。
渋る理由を兄は知っているが、なんでも目出度い席とやらで。であれば自分が欠席をするのは兄の名誉に傷がつくだろう。
「そうは言っても、僕が行く理由がない」
「ご婦人方も私のようなくたびれたおっさんより、若いお前の方が嬉しいだろう?」
「兄さんは十分魅力的だと思うけれど」
「それは冗談としてだな。伯爵家の大事な席だ。挨拶しなさい」
*
「……と、思っていたのですが。ええ…夜会には久しぶりの出席になってしまい、申し訳ありません。
私のような者にもお声がけを頂き光栄です」
大勢の貴族に挨拶を繰り返し、うんざりしていた所にようやく主役が登場してくれた。
口をつけただけのグラスをテーブルに戻し、深く礼をした。
半ば引きづられて来た夜会は、久しぶりに見ても煩く見えた。
綺羅びやかなシャンデリアに、派手すぎるカーテン(と、彼の感性では感じられた)、食べきれない量を重ね重ねした料理などは見るに耐えなかった。帰りたい、と思った。
彼は人と話をするのが苦手だった。端的に言うと面倒なのだった。
「構わないさ。今宵は出席頂き感謝する。……確かに、君とは初めて顔を合わせるな」
これが伯爵家の跡取りとやらか、と目線をやや下に配らせる。
静電気が刺すような髪色だ。
反して、長い睫毛から覗くヴァイオレットは地を低く伝うような色。背はこちらよりやや低い。首が細く、指もまた華奢だ。女顔。
「私の顔になにか?」
ボーイソプラノの奏でる声には聞き覚えがある。
雑踏と焼けた小麦の匂いと共に脳裏に蘇る。別の手もあったろうに。酔狂な男だ。
点が線で繋がる快感に、意識せずに口角が上がったのは何時ぶりか。
「失敬。整った顔つきだと思いまして、つい見とれてしまいました。
……お手を取らせて頂いても?」
「はは、遠慮するよ。世辞が上手い男だ」
「私は本心からの言葉しか言いませんよ」
「嬉しいね。ああ、君が女性ならもっと嬉しかったかもしれないのに。実に惜しい」
心にも無いだろう言葉が掠める指先が冷たい。握り潰した手袋さえも。
今日は冷えますね、と月を見上げると若き伯爵が白息を吐き出した。
「……近々、婚約披露の場を設けようと考えているんだ」
「ああ、……話には聞いておりました。
お可哀想に、リンドバーグ卿の側にいれば、きっと彼女の心の氷も溶けるでしょう」
彼女の幸福を祈っていますよ、といつものように笑顔で告げる。
ああ、顔が思い出せないな。
だまし絵のようにポッカリと穴が開いている。
* * *
* * *
竜胆の揺り籠とhaze,haze,acid flow.との関連性についての文章。
詳しくはイベント2を見るんだ!