近所の奥様達の頼みを断り切れなかった。
そのせいで今日の夜は子供達と町内を回らなければならない。
つまり保護者だ。
夜に何をするのかというと、玄関口で歌を歌い、蝋燭を貰う。そしてその蝋燭を使い、また別の家へと行く。
遠い異国のお祭りだそうだ。
子供達はおおはしゃぎだ。
だが私がこれをするのに何の意味があるのだろうか。
はっきりいって災難でしかない。夏の夜は蚊に刺されるし。ああ嫌だ。蚊は嫌いなのだ。
***街のほぼ全ての家を回り終わり、あとは近くの家だけになった。
子供達は両親に連れられていった。
これで私はやっと自由の身になれたのだ。
気分が良いので寄り道をしようと思う。
こちらに引っ越してからまだ来たことのない道だ。
頂上には、綺麗な白い花畑が見える。
気分転換にはいい場所だろう。
丘の上へ上ると、傘を差した女性が佇んでいた。
なぜ晴れている、しかも夜に傘を差しているのだろう。気づかぬ内に女性をまじまじと見てしまっていた。
それに気づいたのか、女性はこちらに振り向いた。
ごきげんよう、今日は空がまぶしいのね――…、
美しい女性だ。いや、まだ若い、少女のようだ。
声だけ聞くとわからなかったが、顔を見るとまだ少女のあどけなさが残っているのがわかる。
鮮やかな赤毛と深紫の瞳が、星に照らされまたたく。
ええ、そうですね。とても綺麗だ、……言われるまで気づかなかった。見上げてみると、私の頭上には零れ落ちそうな程に輝いた星の川があった。
きらきらとした輝きは丘の上に降り注ぎ、私達二人を照らす。影がほとんど見えないくらいだ。
頭上にある大きな樹だけが影を落としている。
――…どうしてこんな所にお一人で?
ええ、今日は教会でもお祭りをやっているものだから、その手伝いをしていたのだけれど、飽きてしまって。――…と悪びれた様子もなく女性は言った。
なるほど、それならそのドレスのような格好もうなずける。
聞くところによると、彼女は人を待っているのだという。
毎日毎日待っているのだが、一向に来る気配がないそうだ。
なんてひどい奴だ!と私が怒りをあらわにすると、女性はまあ、と目を丸くして驚いた。
怒る人は初めてだ、私が勝手に待っているだけなのだから、そんなに怒らないで?――…そう言って彼女は私をなだめた。
……今日はお祭りの日だから、あのひとが帰ってくるかもしれない。そうしたら、あなたは怒らないですむわ。
おこりんぼのあなたには、この大切な、めずらしい星のかけらをあげましょう。――…彼女はそう言うと、小さな小瓶を私に手渡した。
中には小さい石が何個か入っている。明るい星の下で見るからか、ぼんやり光っているように見えた。
今日は星が綺麗だからよく落ちてくるのだと彼女は言う。
ああなるほど、だから彼女は傘を差していたのかと、妙に納得してしまった。
説得力の無い話なのである。突拍子の無い話なのである。
それなのに、彼女の言葉にはふと納得してしまう。不思議な安心感があった。
それからは、他愛の無い話をした。
大人気ないからと、あまり他人には話せなかった話、
友人の話、
両親の話、
もうすぐ生まれる子供の話……どれも私の話ばかりだったが、彼女は笑顔で聞いてくれた。
もう遅いから、家族が心配する――…彼女の言葉で初めて気づいたのだが、もう何時間もこの場所にいた。
家では妻が待っている。もう寝てしまっているかもしれない。
また会いに来ると約束して、帰宅した。
真っ暗闇だったが、星のかけらがあったので無事に帰ることができた。
***次の日、あの丘へ上ってみた。
するとそこには、大きな樹なんて無く、
古ぼけた二つの墓が並んでいるだけだった。
風化のせいだろう。もうボロボロになってしまっている。
崩れた石をほろい、できるだけ綺麗にしてみたが、……やはり文字は読み取れない。
かろうじて読み取れたことといえば、
・この墓は、私が住んでいる街が、まだ村だった時に建てられたものであるということ。
・眠っている人はもう何百年も前に亡くなっていること。
……ということだけだった。
二つの墓には、白い花が供えられている。
まだ瑞々しいそれは、ここ数日の間に誰かが来たことを物語っていた。
私は丘を下りた。
***
***わたしは手帳を閉じた。
厚いそれは閉じるだけでずっしりと重量感を増す。
このページにだけ栞が挟まっていたようで、閉じた拍子に落ちてしまった。
拾い上げて見ると、美しい星空をモチーフにした栞のようで、いかにも高そうな細工がしてある。
そっと元の場所に挟み直した。
これは父の遺品を整理していて出てきた日記帳だ。
厳格な人だったが、こんな小説のような話を書くものだろうかと苦笑してしまった。
しかし不思議な話だ。
不思議だ、神秘的だ。
この街のシスターに赤毛の人がいたという話は聞いたことがないし、第一、父からこの話を聞いたことは一度も無い。
それに、この話の中に出てくる「星のかけら」が、父に貰ったネックレスだと思えて仕方がないのだ。
まだぼんやりと輝くそれは、「星のかけら」と呼ぶにふさわしい程に綺麗だ。
……丘といえば、街で一つだけ。この部屋の窓から見える丘しか無い。
明日、あの丘へ行ってみようと思う。
***
***
私はまたあの丘へ上ってみようかと思う。
7月7日の夜になると、また彼女に会えるような、そんな気がするからだ。
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画像は
咲乃さんが作成した
こちらを加工・使用させていただきました。
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